ウォーク学園のチャイムは、羅針盤をかたどった模様が刻まれている。
 その日も大きな鐘が鳴り響き、下校を促す校内放送が流れだした。
 本日の授業は全て終わり。下校しだす生徒たちと共に、何名かの教師たちも帰路についていた。

 学園の世界史教師であるバンユウは、自宅が学園からほど近いため、徒歩で帰路につこうとしていた。
 校門を出たか出ないかのところで、バンユウの目の前にスライムクラスの子供たちが立ちふさがる。
「とりっく、おあ、とりーと!」
 大きなリボンを付けた桃色のスライムがバンユウに向けて叫んだ。その後ろには、眼鏡をかけた気弱そうな青いスライムがじっと彼らを見守っている。
 突然のスライムの登場に、バンユウは声もなく立ちすくんでしまう。桃色のスライム――スラ子は、もう一度「トリックオアトリート!」と可愛らしい声で叫んだ。
「ス、スラ子ちゃん…先生困ってるよ」
「なにいってるのスラよしくん! 今日は子供が大人に対してこうするのが礼儀なのよ!」
 ガオ~、とスラ子は牙を出してすごんでみせる。だが全く怖くないので、バンユウは更に扱いに困って目を泳がせた。
「お菓子くれないといたずらしちゃうってさ」
 バンユウの後ろから、すっと長い腕がスラ子に向けて差し出された。その手には、カラフルなお菓子がたっぷり詰まっている袋が乗っている。
 途端に、ぱあっと目を輝かせ、笑みを浮かべるスラ子を見て、お菓子を差し出した若い外国語教師――ラシーンも微笑んだ。
「はい、キミにも」
 ラシーンはスラよしにも袋を渡してやる。やったぁとスラ子とは対照的に控えめに喜んで、二匹のスライムはラシーンにお礼を言い、さようならと帰っていった。
「不服そうな顔をしているね、バンユウ? アナタの分もあるからあげようか?」
「要らん」
 バンユウは赤く鋭い瞳でラシーンを睨みつけ、追い払うように軽く手を振る。
「オマエ、いつもそんなものを持ち歩いているのか」
「まさか。今日はハロウィンだからだよ。もしかして忘れてた?」
「オレには縁のない行事だな」
「えー、忘れたのバンユウ。小さいころ、ボクと一緒に夕飯のカボチャをランタンにして、先生に怒られたことあったじゃないか」
 懐かしいなぁ、とラシーンは目を細めた。
「あの日は夕飯抜きにされたうえ、しばらくの間、真っ暗な外に立たされていたな」
「月が綺麗だったね、あの夜は」
「思い出して怒りが湧いてきた、オマエに」
「なんでだよー。バンユウだってノリノリでランタン作ってたじゃないか」
「記憶にない」
「ずるいなぁ」
 ラシーンは苦笑して肩をすくめる。

 二人はそのまま校門から通学路を通り、街中に入った。
 人々の雑踏が、今日は更に明るく踊っているように聞こえてくる。
 ハロウィンの仮装であろう、着ぐるみのような服をまとった子供たちが、父親や母親、祖父母らに連れられ嬉しそうに歩いている。勿論、大人たちの中にも少なからず仮装をして練り歩いている者もいる。
「縁がないといいつつも、気になるみたいだね、バンユウ」
 ミイラ男の格好をした子供に目を奪われたバンユウを見、ラシーンが眉を下げて笑む。
「物珍しいなと思っただけだ。ところで、オレは飯を食って帰るが、オマエも一緒に来るか?」
「あー、ごめん。今日はちょっと用事があってさ」
 ラシーンは、ちらりと腕にはめた時計を見た。
 明日は学校も休みであるし、無理もない。ラシーンは誰が見ても顔立ちの整ったイケメンであり、物腰も柔らかいので、常に周りには美しい女性たちが取り巻いている。彼女の一人や二人いてもおかしくないと、バンユウは自然に納得した。
「あっそうだ。もしかしたら今日も遅くなると思うから、また泊めてほしいだんけど…」
「ああ、構わんぞ」
「でさ、悪いけど、いったん鍵貸してくれない? 荷物だけ置いておきたいんだ」
 バンユウは軽くうなずくと、無言でラシーンへ鍵を渡した。
 ちなみに、バンユウは念のために鍵を二つ作っているため、一時的にラシーンへ貸すことはよくあった。
「あのさ、もうこの鍵ボクがずっと持っててもよくない?」
「駄目だ」
「何で?」
「契約上の問題だ。本来は家族以外に鍵をおいそれと渡すものではないだろ」
「バンユウとボクは家族みたいなものじゃないか~」
「そもそもオマエは別のところに家を借りてるだろう。それよりも、あまり遅くなりすぎるなよ」
「心配してくれてるんだ?」
「深夜や朝方に帰宅されると、隣人に迷惑だからな」
 バンユウは肩をすくめる。ラシーンは、オーケーと軽く頷き、雑踏の中に消えていった。


著者:狩生